第十三話「御虎子」

 それにしても便所での恥ずかしい出来事を、どうして主人の九左衛門が知っているのだろうか。
 ありさはふと疑問に思った。
 誰が九左衛門に伝えたのだろうか。
 最初に思い浮かんだのは、ありさが男子便所を使用時戸を開けた庄吉や利松であったが、彼らが九左衛門に通報したとは考えにくい。
 通報しても何も得るところがないからだ。
 庄吉と利松を除いて、ありさが男子便所に入ったことを知っている人物と言えばふみだけだが、先輩女中を疑いたくはない。
 
(誰がだんさんに告げ口したかなんて考えるのはもうよそう。分かったところで仕方がないし……)
 
◇◇◇

 奉公人たちの夕食の片付けと大量の洗い物を済ませてると、時計の針はすでに午後九時を五分ほど回っていた。
 
(大変だ、遅れたらだんさんに叱られる。急がなくては)

 ありさは台所から出て急ぎ足で廊下を歩き、九左衛門がいる部屋に向かった。

「だんさん……ありさですけど……遅くなって申し訳ありません……」
「おお、ありさか。はよ入り」

 約束の時刻を過ぎていたので叱られると思い恐る恐る襖を開けたが、意外なことに九左衛門は上機嫌であった。

「そんなとこ立ってんと、はよう中へ入って座んなはれ」

 襖を開けてもなかなか入ってこないありさに九左衛門が催促した。
 九左衛門に促されようやく部屋に入ったありさは、九左衛門とは少し距離を置いて俯いて正座した。
 悪夢のような昨日からわずか一日しか経っていない今日、ありさの動揺はまだ隠し切れるものではなかった。
 先に九左衛門が告げた「二つのこと」とはいったい何だろうか。
 ありさにどのような要求をしてくるのだろうか、ありさは気が気ではなかった。

「今日、二つのことができたら信用してやると仰ってましたが……」
「うん、簡単なこっちゃ。全然難しいことあらへん」
「どんなことでしょうか……」
「一つめ。しゃがんで裾をまくってわしにケツを見せること。二つめ。しょん便してる姿をわしに見せること。それだけや、簡単やろ?」
「そ、そんなことっ……そんな恥ずかしいことはできません……」
「庄吉と利松に見せたのと同じことするだけでええんや」
「うっかりお尻は見られてしまいましたが、おしっこするところは見られてません。本当です」
「嘘ついたらあかんで。ケツ見られたくせに、しょん便垂れてるとこ見られてないとか、そんな嘘が通るとでも思てるんか!?このスカタンがっ!」
「本当に見られてないんです。戸が開いた時はおしっこは終わってました」
「何を寝ぼけたことを言うてんねん。おまえがしょん便垂れてるとこ見たちゅう奉公人がおるねん」
「そんなの嘘です……おしっこをしている最中は戸が閉まってました。本当です!」
「この期に及んでまだしらを切る気か。奉公人には見せられても、主人のわしには見せられへんちゅうんか?」
「ゆ、許してください!そんなことできません!」

 ありさがいくら否定しても、九左衛門は彼女の言葉を信じることなく執拗になじり続けた。

「わしには見せられんて、いったいどの口が言うてるんや?」
「いたいっ……」

 ありさの左の頬を強くつねりながら、耳元でささやいた。

「主人を蔑ろにするような女中はいらん。荷物まとめてすぐに田舎へ帰んなはれ」
「そんなぁ……田舎には絶対に帰れないんです……」
「そんなこと知ったことかいな」

 九左衛門は冷たく言い放った。
 情けなさで胸がいっぱいになったありさはしくしく泣いた。
 そして涙の後に行き着いた結論は九左衛門の破廉恥な要求に従うことだった。

「どや?どないするねん?」
「分かりました……だんさんの仰るとおりにします……」
「お~、そうかそうか」

 屈服した様子のありさを見て九左衛門は相好を崩した。
 九左衛門は部屋の隅にある御虎子(おまる)を指し示した。
 御虎子とは室内用の簡易便器で、木製の浅い桶でできており小判形をしている。

「その御虎子を持ってきて、ここでしょん便するんや」
「えっ?ここで……?」
「そらそやろ。夜のこんな時間に二人連れ添って便所に行って、もし誰かと会(お)うたら、どんな噂が立つか分からへん。せやろ?」
「はい」
「せやからここでするんや」
「は、はい……」

 ありさは御虎子を知らないわけではなかった。幼い頃に利用したこともある。
 しかしまさか十六才にもなって、男性環視の元で行われることになるとは想像もしなかった。
 九左衛門に促され、ありさは部屋の中央に御虎子を運んだ。

「さあ、はよケツをまくれ」
「……」
「はよせんか!」

 ありさがぐずぐずしていると、九左衛門の平手が着物越しに尻をぶった。

「いたっ……」
「さっさとせんかったら何回でも叩くで!」
「お願いです……もうぶたないでください……」

 うっすらと涙を浮かべながら、ありさは頬を赤く染めながら着物の裾をからげた。
 だがまだ膝の辺りまでしか上がっていない。

「もっと上までまくらんとしょん便でけんやろ」
「はい……」

 ありさは九左衛門が見上げている前で、着物の裾の両端を腰の辺りまで持ち上げて帯に挟んだ。
 そして涙を滲ませながら御虎子にまたがり、ゆっくりと腰をかがめた。
 九左衛門はランプに火を燈しありさの下半身に近づけた。
 明るいランプをまともに受けた雪を欺くばかりの白い肌が恥かしそうに震えている。

「それにしてもええ腰付きしとるなあ。とても十六とは思われへんわ」

 勝ち誇ったようにほくそ笑む九左衛門をよそに、ありさは静かに目を閉じ覚悟を決めて股の力を緩めた。



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