第10話

 クルマは駅前から少し遠ざかり大通りから1本入ったオフィス街の一角に止まった。
 昼間はOLやサラリーマンで賑わうこの界隈も、夜が更けると人通りも少なくなり静寂が訪れる。
 クルマが止まるとおもむろに私は事の次第を話し始めた。
 車井山さんの注意も聞かず再び援交をしてしまったこと。
 客が二人の男性で散々もてあそばれたこと。
 お金をもらってそのような不純なことをしている自分に嫌気が差したこと。
 私が話している間、車井山さんは真剣なまなざしで聞いてくれた。

 話し終ったあと、止めどもなく涙が溢れた。
 車井山さんはそんな私をギュっと抱きしめてくれた。
 私は車井山さんの胸に抱かれて泣きながら、忘れかけていた大切なものを思い出したような気がした。
 私が話し終えても車井山さんは何も語らなかった。
 髪をやさしく撫でてくれて、唇を重ねて来た。

(チュッ……)

 それはほろ苦く切ない味のキスだった。
 キスをしていると、何か心が洗い清められていくように思えた。

 その時だった。
 自分でも信じられないような言葉が私の口から飛び出した。

「車井山さん、今夜、私を抱いてくれませんか……お願いです……。私を、私を、ひとりにしないでぇ……」

 車井山さんの優しさに包まれて、私は頭が混乱してしまっていたのかも知れない。

「ありさちゃん……」
「車井山さん……」

 次の瞬間、車井山さんは私を振り解いてハンドルを握りクラッチを踏んだ。
 あまりに急な発進だったので私の身体は激しく揺れた。

(うわぁ~荒っぽい……車井山さん、私が変なことを言ったから怒ったのかな……?)

 身体が揺れたのも当然だった。
 車井山さんはローギアを入れずに一気に2速発進をしたのだった。
 クルマは繁華街を迂回して池袋駅の西口の方に向った。
 まもなくクルマはキラキラとネオンの灯る建物の中へと吸い込まれていった。

 駐車場らしき場所でクルマは止まった。
 幸い周囲には人気がなかった。
 クルマから先に降りた車井山さんは助手席に回り込みドアを開けてくれた。
 緊張する私をほぐすように車井山さんはそっと手を取ってくれて、ホテルの自動ドアを通り抜けた。
 ホテル内は外観の派手さとは違って、落ち着いた配色でゆるやかなBGMが流れていた。
 エントランスホールには部屋の一覧表示パネルがあった。
 もう遅い時間だったからか、空き部屋を示すライトがほとんど消えていた。
 車井山さんがライトの灯っているパネルのボタンを無造作に押すと、自動的に鍵が飛び出してきた。

 部屋の鍵を握りエレベーターに乗り込んだ。
 部屋は10階だった。
 車井山さんと二人きりになったとき、すごく不思議な気がした。
 二人が会ったのはハンバーガーをご馳走になった日と今日だけなのに、以前からよく知っている人のように思えて……。
 でも何だか照れくさくて車井山さんの顔をちゃんと見れなかった。
 もしかしたら高鳴っている胸の鼓動が車井山さんに聞こえたんじゃないかしら。

(緊張するなぁ……あぁ、もうすぐ車井山さんに抱かれるんだぁ……。やぁ~ん、どうしよう……)

 車井山さんの方をちらりと覗いてみた。

(うわ~!こっちを向いている!恥ずかしい……)

 そういえば、クルマを降りてから今までずっと車井山さんは私の手を握ったままだ。
 車井山さんがくっつくぐらいに顔を寄せてきた。

(キャッ~…初キス……!?)

 その時、エレベーターの停止する音がした。
 10階に着いたようだ。

(キスはおあずけ?)

 エレベーターを降りてからの歩調は、まるで足が地に着かず雲の上を歩いているようであった。
 点滅している表示ランプに従って歩いて行けば、自然に目的の部屋へたどり着く仕組みになっているみたい。
 廊下の角を曲がると玄関扉の上にある表示ランプが灯っている部屋が見えてきた。
 私たちが入る部屋だ。
 胸の鼓動が一段と高鳴った。

 車井山さんがエントランスホールのパネルでもらった鍵を差し込んだ。
 ガチャッという音と同時にドアが開き、車井山さんが先に足を踏み入れた。
 車井山さんに手を引かれ私も続いて入った。

 緊張し過ぎて靴がうまく脱げない。
 ブーツを履いている訳でもないのに、いったい何を焦っているんだろう。
 その時、車井山さんが……

「足の裏に磁石でもくっついてるのかな?」
「え?あはははは~、離れたくないらしいんですよ~」
「そんな時はおまじないを!」
「おまじない?」
「アブラカダブラ~、靴は足から離れなさい~」
「……??」

 車井山さんは意味不明の呪文を唱えると突然私の唇に唇を重ねてきた。

(チュッ……)

「んんん……」

 それはわずかな時間だった。
 車井山さんは私から顔を離すと、

「ほら、足と靴が離れただろう?」
「あ、本当だ。離れてる!」
「おまじない効いただろう?」
「うん、すごい~!」

 本当はキスをしている間に、車井山さんが靴を脱がしてくれていたのだった。
 もちろん知っていたけど私は知らないふりをした。
 だって車井山さんが私の緊張をほぐすために、ジョークを飛ばしてくれたことがすごく嬉しかったんだもの。


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