官能舞妓物語






先斗町(近年)


第六章 籠の鳥

 それから2日後、その日は風もなくとても蒸し暑い日だった。
 ありさは三味線の稽古を済ませ、手ぬぐいで額の汗を押さえながら、屋形“織田錦”に戻って来た。

「ただいまどすぅ~」

 いつもならば、女将か他の者から「お帰り~」の言葉が飛んでくるのに、今日に限ってやけに静かだ。
 ありさは訝しく思いながら下駄を脱ごうとすると、暖簾を潜って女将が現れた。
 どうも様子が変だ。
 女将が目を吊り上げてありさを睨んでいるではないか。

「ありさはん!早よあがってそこにお掛けやすな!」
「はぁ・・・」

 ありさは脱いだ下駄を並べ終えると、玄関を上がって板の間に正座した。

「ありさはん、あんさん、あたしを舐めてるんちゃいますんか!?」
「ええ!?そんなことおへん!お母はんを舐めてるやなんて、そんなこと絶対あらしまへん!」
「ほな、聞きますけどなぁ、あんさんの旦那はんてどなたどす?」
「はぁ、あのぅ・・・丸岩の会長はんどす・・・」
「そうどすな?丸岩の会長はんどすわな?ほなら、もひとつ聞くけど、あんさん、学生はんと付合うてるんちゃいますんか?」

 ありさは女将から学生と言う言葉を聞いた瞬間、身体中から血が引くような思いがした。

「付合うてるやなんて・・・・、そんなことおへん・・・」
「あんさん、あたしに嘘ついてどうしますのん。こないだの日曜日、男衆のひとりがあんさんを蛸薬師で見掛けたゆ~てはりますんやで?」
「・・・・・」
「なんで用事もあらへん蛸薬師におるんやろおもて、その男衆はあんさんの様子をちょっとの間、伺うてたらしいどす。ほしたら何とまぁ、学生はんと楽しそうに語らいながら家の中へす~っと入って行ったちゅう話どすがな。男衆がわざわざ、そないな作り話こさえる思います?」
「・・・・・」
「黙ってたら解かれへんがなっ!どうなん!?」
「はぁ・・・、それほんまどす・・・」
「やっぱりかいな・・・、あのなぁ、あんさん、誰のお陰で毎日おまんま食べて、踊りや三味線なろてるおもたはりますんや?それにあんさんは水揚げをされた身やおへんか?丸岩はんの顔に泥塗るようなことせんといてんかっ!!」
「すみまへん・・・」

 ありさは瞼にいっぱい涙を貯めながら、女将に丁重に謝った。
 さらに女将は言った。

「あのな、ありさはん。そらあんさんかて年頃の娘や、誰かを好きなってもしょうおへん。せやけどな、舞妓になった以上は、それは許されへんことなんどすえ?恋なんか捨てなはれ。その学生はんのこと忘れなはれ・・・。それより、あんさんをかいがってくれはる丸岩はんにしっかり尽くしなはれ。それがあんさんのためや。それが、舞妓の道とゆ~もんや・・・」

 ありさは女将の言葉を聞き、その場に泣き崩れてしまった。



 次の日曜日、俊介は外出もしないで日がな一日ありさが訪れるのを待ったが、ありさは一向に現れなかった。

(どうしたんだろう?もしかして急用ができたのだろうか?それとも、何か事故でも・・・)

 俊介は書物を開いても全く手につかず、ひたすらありさの笑顔を思い浮かべ物思いに耽っていた。

 やがて陽が沈んでも、やっぱりありさは来なかった。

(会いたい・・・、ありさ、君に会いたい。たとえ一目だけでもいいから君に会いたい・・・)

 俊介は時間が経っても想いが募るばかりで、ついに会いに行こうと決心した。

 ランニングシャツの上に洗いざらしの白いシャツを引っ掛け下宿を後にした。
 暗い夜道をとぼとぼ歩き、ありさのいる木屋町へ向った。

(確か屋形の名前は“織田錦”だったな・・・)

 木屋町界隈を探してはみたが、同じような店が多く“織田錦”が判らない。
 そこへ偶然道を通り掛かった御用聞きらしき男に尋ねてみて、俊介は自分が間近まで来ていることに気づいた。

「ごめんください」

 俊介は紺色の大きな暖簾をくぐり来訪を告げた。

「おこしやす~」

 そばかすだらけのまだ年の頃なら17,18ぐらいの女中が出て来た。

「夜分すみません。本村と申しますが、こちらにありささんはおられますか?」
「ありさはんどすか?はぁ、いてますけど、どんなご用どすか?」
「ええ、少しだけ会わせていただきたいんですが・・・」

(どうも客ではなさそうだし、それに見たところ学生のようだ・・・)

と女中は些か困惑した様子であった。

「はぁ、ほな、ちょっと待っておくれやす」

 女中は奥の方に消えて行き、しばらくして代わって貫禄のある女将らしき女性が現れた。

「おこしやす。お宅はんどすか?ありさに会いたいゆ~たはるお人は」
「はい、本村と申します。ありささんに一言だけお伝えしたいことがあるので会わせていただけませんか?」
「お宅はん、学生はんどすな?」
「はい、そうですが・・・」
「無理どすな」

 女将は毅然とした態度で俊介に言った。

「え?そんな・・・。一目だけでいいんです。お願いします」
「それは無理とゆ~もんどす。ありさは舞妓どす。舞妓ゆ~もんは、お客はん以外の男はんと会うことはまかりなりまへんのや。ど~しても、ありさに会いたい言いはるんやったら、お客はんとして来ておくれやすな」
「客として・・・ですか?それで、いかほどの料金が必要なんでしょうか?」
「金額やおへん。お金をなんぼぎょうさん(沢山)積んでくれはってもあきまへんのや。この祇園ゆ~とこは信用が第一なんどす。どこぞの有名なお方の紹介でもおありやすか?」
「ええ?紹介・・・?有名な人の紹介が必要なんですか?」

 俊介は愕然とした。
 女将はさらに追い討ちを掛けるように言った。

「誰ぞご存知どすか?」
「いいえ・・・そんな人は知りません・・・」
「それやったら悪いけど、帰っておくれやすな。ほんで、金輪際(こんりんざい)ありさには指一本触れんといておくれやす。ほな、はよ、いんでんか(帰ってくれるか)」
「ちょっと待ってください!一目だけでいいんです。お願いです!一目だけ会わせてください!」
「しつこいお人やなあ~。・・・。ちょっと~、誰ぞちょっと来てんかあ~」

 女将が呼ぶと奥の方から中年の男と若い男がふたり出て来た。
 ここの男衆(おとこし)のようだ。

「女将はん、どないしはりましたんや」
「この学生はん、ありさに会わせろゆ~てきかはれしまへんのや。こんな玄関先におられたら商売のじゃまどす。出て行ってもろて」
「学生はん、そうゆ~ことや。ここはあんたなんかが来るとこちゃうんや~。さあ、出て行ってんか~。」
「そこをひとつ、何とか、お願いです!」
「お宅、えろう聞き分けのおへん人やなあ~。さあ、はよ出て行ってんか~!」

 男衆は俊介を怒鳴りつけながら、両方から腕を掴み、店の外に引き摺って行った。
 それでも俊介が執拗に食い下がったため、男衆のひとりが俊介を胸座を掴んで地面に押し倒してしまった。
 その拍子に俊介は地面に頭を打ちつけたのか、額から赤い血を滲ませた。
 俊介は地面に這いつくばるようにして立ち上がり、男衆の足元にすがって哀願し続けた。
 男衆は吐き捨てるように言った。

「学生はん。これ以上しつこうありさに付きまとったら、今度は営業妨害で警察に突き出すで。ええな?憶えときや」

 尋常とは思えない玄関先の様子を暖簾の陰で眺めていたありさは、必死に留める先輩の芸妓を振り切って、俊介の元へ駆け寄ろうとしていた。

「あかん!行ったらあかん!ありさちゃん、ここはじっとがまんするんや。ええな」
「そんなん、そんなん、あんまりひどおすぅ・・・」

 ありさは悔しさに唇を噛み締めながら、声を殺して泣き崩れてしまった。


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