第2話

 戸惑うきょうこに初老の男がペコリと頭を下げた。

「いいえ、大丈夫ですわ。それより席を譲ってくださってありがとうございました」
「とんでもね。だば、ゆっくりしていってきゃ」

 初老の男は笑みを浮かべながら酩酊している連れの男の腕を引っ張り、そそくさと店を出て行った。

 ようやく席に着いたきょうこに周囲からの好奇の視線が降り注ぐ。
 その日のきょうこは割りと大人しいめの衣装であったが、それでも彼女が醸し出す独特のエネルギーは、彼女が通常の女性でないことを窺わせた。
 つまり彼女がそこに存在するだけで周囲の空気を一変させた。
 酒場の客たちはきょうこの姿を眺めながらあれこれと呟いている。

(あの女は一体何者だ?)
(この辺では見かけない顔だがどこから来たのかな?)
(飛び切りの美人じゃないか)
(まるでモデルのようだ)
(女優の本上何とかに似ているみたいだが)

 きょうこは周囲から突き刺さるような視線を感じたが、あえて見て見ぬふりをした。
 注文を聞きに来た例の看板娘に、生ビールと肴には北国で捕れたヒラメの刺し身と小鉢を一品注文した。

 まもなく中ジョッキーが運ばれて来て、きょうこの前に置かれた。
 白い泡がジョッキーから少し溢れてる。

(グイッ……)

 ジョッキーを傾けるきょうこ。
 少し歩いて喉が渇いていたせいか、爽やかな喉越しが実に心地よく感じる。
 撮影が終わってスタッフと飲みに行くことは時々あるが、ひとりで暖簾をくぐるのは久しぶりだ。
 都内であれば必ずと言ってよいほど柱の陰にハリコミ記者が目が光っている。
 例えプライベートな時間であっても不意にサインを求められることもある。
 しかしここは最果ての港町、よもやかの有名女優がスタッフを伴わず一人プライベートでやってきたなどとは、誰も考えないだろう。
 「どこかで見たことがあるような」と思う人はいるかも知れないが。
 傷心を癒すため遥か最果ての港町へ訪れたことで、きょうこはやっと本来の自分を取り戻したような気がした。

 ジョッキーを数回傾けた頃、一人の男性客が入ってきた。

「いらっしゃい!あいにく今いっぱいなんですけど……相席でも構いませんか?」
「別にいいよ」

 まもなく例の看板娘がきょうこの所へやってきて、申し訳なさそうに「お客さん、悪いですけど相席をお願いできませんか」と頼んできた。
 きょうこは悪びれることなくすぐさま「ええ、いいわ」と返した。

 男性客はきょうこの向かい側になってお辞儀をした。

「すみませんね」
「どうぞ、お気兼ねなく」

 きょうこは微笑みながら会釈を返した。
 30代半ばといったところだろうか、背は175cmぐらいで細身で作業着を着ている。
 酒場にいる男たちと同様によく日焼けしているところから、船乗りか漁師あるいは港湾関係者であろう。
 短髪で精悍な顔立ちが、最近別れた彼にどこか似ている……ときょうこは思った。

 男は熱燗を注文した。
 酒が運ばれてくると、男は手酌で注ぎ(つぎ)盃を傾ける。
 飲み終えた後「ふうっ」と小さくため息をついた。
 過酷な1日を終えた男がようやくやすらぎのひと時を得た安堵のため息だろうか。
 気をつけていなければ聞き取れないほど小さなため息であったが、きょうこの耳にははっきりと届いた。
 知らない者同士が同じテーブルに対席した時、ついお互いに視線を避けてしまうものだ。
 しかし今のきょうこは、遠く離れた街に来て人恋しさも手伝ったのか、つい対席した男と話したい衝動に駆られた。

「あのぅ……ちょっとだけお話してをしても構いませんか?」

 きょうこは思い切って声をかけてみた。

「え?……んだ、別にいいけど」

 男は突然見知らぬ女性から語り掛けられて驚きを隠せない様子だった。

「あのぅ……失礼ですけど、あなたは地元の漁師さんですか?」
「んだ、そうだけど……」
「じゃあ、ちょっと教えてくれませんか?こちらでは海産物ってどんなのが捕れるんですか?」
「んだっきゃ。花咲きガニ、イカ、ニシン、ホタテ、まだまだ沢山あるよ。んだんだ、この季節はカズノコがすごく美味しいよ」

 一見寡黙そうに見えたが、きょうこが話しかけると意外とすらすらと語り始めた。

「まあ、カズノコ大好きだわ。あのプチプチとした歯触りが堪らないんです」
「朝早ぐ魚市場さ行くど捕れたてが食べれるよ。ところで、どさから来たの?」
「はい、東京から来ました」
「仕事な?」
「いいえ、仕事では……」
「旅行な?だば観光旅行だばこの辺りさ来ねだべし。んだ、まあいいが。詮索するのはやめでおぐし」
「いいえ、大した理由はないんです。仕事が一段落したので一人旅をしたくなって、ぶらりと……」
「で、このなもね港町さ来たって訳かい?」
「ええ、空港からぶらりとバスに乗って、適当に降りてみたら、この港に来ていたんです……」
「へ~?それで、適当さ歩いていたら、適当な居酒屋が見つかって、適当さ話し相手が現れた……って訳だな?」
「そんなぁ……適当な話し相手だなんてそんなこと思ってません。とても感じの良い人にお会いできてすごく嬉しいです」
「はっはっは~!無理すんなて。いいってごどさ。オレはこごの漁師で、車野原弘之っていうんだ。よろしぐの」
「私、本上きょうこ……じゃくて、え~っと、本田きょうこって言います。よろしくお願いします」
「だけど、それにしてもの~」
「それにしても……?」
「いや、それさしてもこの港この酒場にはちょいど不似合いのお嬢さんだり言いたがたんだし」
「そんなに似合ってませんか?」


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きょうこ(イメージ)











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