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第2話「泰三の海外出張」
俊介はある夜トイレに行こうとして階段を下りたとき、信じられない光景を目撃してしてしまう。
俊介の視線の先には、めぐみの寝室に足音を忍ばせて入っていく父親泰三の姿があった。
(まさか……)
信じがたい場面に遭遇してしまった俊介は、後頭部を強く殴られたような衝撃を受けた。
(めぐみが……親父とそんな関係だなんて……嘘だろう……)
俊介はその夜、図らずも目撃してしまった悪夢のような光景を、心の奥底にギュッとしまいこんで、決して誰にも口外するまいと心に誓った。
しかし寝床に戻って目を閉じても、瞼に浮かんで来るのはめぐみの姿であった。
あられもない姿で悶えるめぐみの姿が浮かんでは消えていく。
自分には決して見せたことのない表情を泰三に見せているのか、と思うといても立ってもいられなかった。
俊介は父親泰三への強い怒りと激しい嫉妬を抑えることができなかった。
そんな鬱々とした日々を送る俊介にもひとつの機会が訪れた。
父親泰三が二週間ほどの期間、海外出張に出掛けてしまったのだ。
その日も俊介は自室にこもり、執筆活動に余念がなかった。
父親の期待とはうらはらに、俊介には事業を承継する意思がなく、自らコピーライターとしての道を歩み始めていた。
(親父の敷いてくれたレールを辿っていくなんて僕はまっぴらだ。僕は僕の道を歩むんだ)
しかしそんな俊介も今スランプに悩まされていた。
いくら思考を重ねてみても文章がうまくまとまらないのだ。
(あ~あ、いい文章が浮かばないや……。ちょっと気分転換でもするか……)
俊介はチェストの引出しからスイムパンツを取り出し、屋敷の離れにあるプライベートプールに向かった。
プールは俊介が幼少の頃、父親泰三が当時虚弱だった俊介の身体を鍛えるためにわざわざ造ったものであった。
その甲斐あって俊介は小学生になって、県内の水泳大会では学校の代表に選ばれるほど水泳達者になっていた。
今でも気が向けば、ときどき水に浸かることがある。
俊介は一階に下りプールへと通じる渡り廊下に向かおうとした。
その時ロビーでまめまめしく掃除に精を出すめぐみの姿が目に入った。
俊介はめぐみに声をかけた。
「めぐみ、良かったらいっしょに泳がないか」
「まあ? 私を誘ってくださるんですか? すごく嬉しいです。でも……」
「どうしたの? 確かめぐみは水泳がうまかったよね? 小さいときに見たきりだけど」
「はい。少しは泳げます。でも、今仕事中ですし……」
「仕事中? いいじゃないか? 少しぐらいならさぼっても大丈夫だよ。お客さんも来てないし」
「でも叱られますから……」
「叱るって誰が? 親父だって今海外に出張中じゃないか」
「でも、執事の磯野さんがいらっしゃいます」
「執事の磯野か? あいつなら気にしなくていいよ。あとで僕がうまく言っておくから」
「でも……」
「めぐみ、早く水着を持っておいで!」
「は、はい! 分かりました。じゃあ、先に行っててください。私、今やりかけている仕事を片付けたら行きますから」
「うん、それじゃ約束だよ。絶対に来るんだよ~」
「はい、分かりました」
めぐみは俊介に誘われたことを大いに喜んだ。
それというのも、めぐみは日頃買物以外で外出することを硬く禁じられていた。
買物も泰三の許可がある場合を除いて、必ず三時間以内に戻らなければならなかった。
万が一遅刻した場合は、泰三の折檻が待ち受けていた。
ゆるい場合は、尻をむき出しにしてのスパンキング二十回が待っていた。
厳しい場合は、緊縛されてローソク責めが待っていた。
めぐみはそんな加虐嗜好のある泰三をとても怖れていた。
しかしそんな恐ろしい泰三も現在は海外に出張中だ。
現在この屋敷にいるのは、長男の俊介、メイド長の吉岡、執事の磯野、そしてめぐみの四人だ。
吉岡は先代から坂巻家に仕える女性で、思いやりがありめぐみにはやさしかった。
執事の磯野は痩せていて、メガネの奥に光る眼差しは冷ややかで、どことなく陰気な印象があった。
使用人のメイドが屋敷内のプールに入る。たとえ主人の長男からの誘いであっても、やはり泰三の許可がない限り、ここは慎重に断っておくべきなのか。
めぐみは悩んだ。
執事の磯野には、俊介が説明してくれるという。
磯野も俊介の頼みであればおそらく聞いてくれるだろう、とめぐみは考えた。
(大好きな俊介さんといっしょに過ごせるんだ。俊介さんのことが大好き……たまらなく好き……)
めぐみは心躍らせながら、クローゼットの奥に仕舞いこんだ水着を探し出した。
◇◇◇
「めぐみは水泳をどこで習ったの? すごくうまいじゃないか」
「いいえ、我流です。学校で教わっただけです」
「僕たちの幼い日を憶えているかい?」
「はい、忘れてませんわ……」
「めぐみといっしょにこのプールで泳ぎたい、と父に言ったらえらく叱られたことを」
「はい、憶えています。あの時子供心に私も俊介さんといっしょに泳ぎたかった……」
「僕はしつこく父に言って、とうとう頭をぶん殴られたよ。ははははは~」
「そうでしたね。悪いことをしましたね。でもあの時、俊介さんがお父様に懸命に頼んでくださったことがすごく嬉しかったです……」