怪奇官能小説/惠 淫花のしたたり




Shyrock作









第1話


 惠は目前の植物に驚愕の色を隠しきれなかった。

「うわぁ、本当に人間の顔みたい・・・」
「だろう?花びらの折り重なりが偶然そのように見えるんだけど、まさに人面花と言えるね。恐いかね?」
「ええ、少し。でも神秘的だしどこか惹かれるものもありますわ。教授、この花何と言う名前なんですか?」
「学術上まだ目新しくて名前はついていないんだ。一応我々は『植物X』と呼ぶことにしたんだけどね」
「そうなんですか。これほど目覚しく科学が進歩した現在でも、まだまだ未知の植物ってあるのですね」
「植物に限らず、地球上にはまだまだ僕たちの知らないものがいっぱいあるんだよ」
「それを1つでも発見できたら感動ものですね」
「ははははは~、全くそのとおりだよ。さて、私はぼちぼち研究室に戻るよ。君はどうする?」
「私はもう少しここで植物鑑賞を続けてます」
「熱心だね。とてもいいことだ。あ、そうそう、念のために言っておくけど、この『植物X』には触れないようにね。一応検疫はしたけど、まだどんな作用があるか詳しく調べていないから」
「はい、教授。分かりました」
「じゃあね」
「はい、失礼します」

 まもなく山田教授は温室から出て行った。
 1人残った惠は『植物X』を食い入るように見つめていた。

 現在、惠(回生)が在籍している生物理工学部では、南米アマゾン流域にまで研究チームが出向き調査を行い、先週、帰国したばかりであった。その際、チームが持ち帰った世にも珍しい花が『植物X』であった。『植物X』は帰国後すぐに大学の温室に保管された。
『植物X』は高さが2メートルほどで、幹の周囲には長細い葉が茂り、中央には大きな花が咲いていた。花の外輪には色鮮やかなピンク色の花びらをつけ、内側はベージュ色でまるで人間の顔のような模様があった。強いて似通った花と言えばヒマワリがあげられるが、花びらが黄色のヒマワリとは全く異なっていた。

「不思議な花だわ。見れば見るほど人の顔に見えてくる。しかもどこか物悲しいような表情で・・・。どちらかと言うと女性かな・・・?」

 瞼らしきものがあり、鼻らしきものがあり、口のようなものまである。
 惠は見ているうちに少し気持ちが悪くなり温室を後にした。


 それから3日後のこと。

「クロ~。そっちに行っちゃだめだって~!」

 1人の女子学生が黒猫を追いかけていた。最近校内に住み着いた野良猫で、猫好きな学生たちが餌を与え密かに飼育をしていた。猫は何を思ったのか、ひたすら温室の方へと駆けて行った。
 誰かが閉め忘れたのだろうか、普段なら閉まっている温室の扉が運悪く開いていた。 そのため猫は扉の隙間から中へと飛び込んでしまった。
「もう~、温室に入っちゃダメだって言ってるのに~!クロったら~!」

 女子学生は扉の前で立ち止まって扉の窓から温室内を覗いていた。温室に入れるのは生物理工学部の関係者に限られており、他の者が入室することは禁じられていた。

 そこへ偶然現れたのが惠であった。手には如雨露を持っている。当然広い温室内の植物全てに給水するためには如雨露の水では足りないので、水は温室内の水道を使うことになっている。

「どうしたんですか?」
「あのぅ、すみません。中に猫が入っちゃたんです」
「猫が?」
「はい、私、生物理工学部の者じゃないので入れなくて困ってたんです。あなたは生物理工学部の方ですか?」
「そうですよ。植物に水をやりに来たんです。良かったらいっしょに入りませんか?」
「構わないのですか?ありがとうございます。じゃあ、いっしょにお願いします」

 惠は猫を探す女子学生とともに温室に入っていった。

「あなた学部はどこ?」
「はい、経済学部です。まだ1年生です。宮本由紀といいます」

 聞きもしないのに宮本由紀と名乗る女子学生はすらすらと答えた。

「私は中小路惠。2年生よ」
「1つ先輩ですね!よろしくお願いします!」
「あは、こちらこそ」

 由紀は悪びれることなく、惠にぺこりと頭を下げた。
 惠もにっこりと笑って挨拶を返した。



第2話


 温室はかなり広大で約千平方メートルの広さがあった。温室内には海外の珍しい草花や果実もあり、日々、生徒たちが栽培と研究に精を出していた。数種類のランをはじめ、クロッカス、カロライナジャスミン、ゲンカイツツジ、ハチジョウキブシ、ハナモモ、ヤマブキ等が咲き、亜熱帯室ではヤシが大きく育っていた。また、コーヒーの実、パイナップルの実、バナナの実等も生っており、ちょっとエキゾチックな雰囲気が漂っていた。

 惠と由紀が通路を進んでいくと、ランの近くで数人の男子生徒の姿が見られた。何やら研究をしているようだ。

「ねえ、あなたたち、この辺に猫が迷い込んでこなかった?」
「猫?ふうん、見かけなかったけどなあ。どんな猫?」

 すぐに由紀が返答した。

「黒い猫なんです。まだ子猫なんですけど」
「そうなんだ。見なかったなあ・・・。おまえ見たか?」
「いや、俺も見なかった」
「そうなの?うん、ありがとう」
「まだ中にいるの?見たら連絡するよ」
「うん、ありがとう」

 生徒たちの証言を信じるならば、この先へ進んでも仕方がない。温室は広いので効率よく探さなければ時間が無駄になってしまう。惠たちは今来た通路を引き返すことにした。惠たちは温室を入って直ぐに右の通路を進んだが、猫は反対側のエリアへ迷い込んだのだろう。反対側には、例の新種『植物X』が保管されている。

 惠たちは温室の入口附近まで戻ると、左側の通路へと進んでいった。

「まあ、きれい~」

 由紀は途中立ち止まり、ひとときランの持つ気品と華麗さに見惚れていた。

「この花、ランですよね」
「そうよ」
「ランって沢山の種類があるんですってねぇ」
「よく知ってるわね。ざっと2万種類あって、日本にあるのはそのうち170種類ぐらいなのよ」
「へえ~、さすが先輩」
「えへ、実は私も最近憶えたのよ。あははは~」

 惠はペロリと舌を出して笑った。

「そうなんですか?あははははは~」
「そんなことより早く猫を探さなくては」
「あっ、そうでした!でもどこへ行ったのかなあ」
「ここは広いから見つけるのはちょっと大変かもね。でもおなかも空くだろうからきっと『にゃ~ん』って現れてくるわ」
「そうだったらいいんですけどねえ」

   惠たちはランのコーナーを立ち去り先へ急いだ。

「クロ~!どこなの~?」
「クロ~。出てらっしゃい~」

 いくら呼んでも猫が現れる気配はなかった。
 通路をどんどんと奥へと進んでいくうちに『植物Ⅹ』に差し掛かった。

「先輩、あの花すごく変わってますねえ」
「あれは大学の研究チームがつい先日南米から持ち帰った花なの。変わった花でしょう?」
「先輩・・・」

 由紀は青ざめている。

「どうしたの?」

 中央が人の顔に見えることで、初めて見る由紀はきっと驚いたのだろうと、惠は思った。

「あの花・・・花びらの中心のところが猫の顔に見える・・・」
「ええっ!ね、猫に見えるって!?」

 惠は真っ直ぐにそびえた背の高い『植物Ⅹ』の花弁を見て愕然とした。

「ま、まさか・・・!?」

 先日惠が教授とここに来た時、『植物Ⅹ』の花弁は人の顔に見えていた。ところが今見てみると、由紀が言うように花弁は確かに猫の顔に見えている。わずか数日の間に花弁が大きく変化して、猫の顔のようになってしまったと言うのだろうか。それは絶対にないとは言い切れない。まだまだ名前すら付いていない未知の花なのだから。

「もしかして、クロ、この花に食べられちゃったのでしょうか?」
「そ、そんな馬鹿なことないわ!教授もそのような危険な花だとは言ってなかったし」
「そうなんですか。じゃあ、クロ、どこへ行っちゃったんだろう・・・」
「きっと現れるわよ。『にゃ~ん』って」
「そうですね。あは」
「じゃあ、先へ行こうか?」
「先輩、すみませんね。忙しいのに付き合ってもらって」
「いいのよ」

「クロ~!」
「出ておいで~、クロ~」

 惠たちは隣のコーナーへと向かった。



第3話


 惠と由紀は1時間かけて温室を隈なく探した。
 しかし、小猫クロの姿はついに見つからなかった。

 温室内を一周廻ったふたりは出入り口近くに戻った。
 猫が見つからなかったことで、さすがに由紀は元気がなくがっくりと肩を落としている。

「クロ、いなかったね」
「先輩、どうもありがとうございました。それにしてもどこに消えちゃったんだろう?」
「もしかしたら、もう表に出ちゃったんじゃないかしら?」
「そうだといいんですけど」
「きっとそうよ」
「そうですね」
「明日になると、どこかから『にゃぁ~』って現れるわよ、きっと」
「はい!そう信じることにします!」
「じゃあ、私、今からゲンカイツツジの観察しなければならないので、この辺で」
「あ、先輩の貴重な時間取っちゃってごめんなさい。本当に長い時間、私に付き合ってもらってありがとうございました」
「いいのよ、じゃあね」

 由紀は惠にペコリとお辞儀をして、温室を出ていった。

 1人残った惠は立ち止まって、しばらく思考を巡らせていた。

(クロが消えたことも気になるけど、例の『植物X』のことがすごく気になるわ。先日教授と見た時、人の顔に見えていたのに、どうして今日、猫の顔に見えたのかしら・・・。これはきっと何かあるわ。 え・・・?まさかぁ・・・・・・)

 もしかして、由紀が言っていたことは真実で、クロはあの『植物X』に食べられてしまったのではないだろうか?
 惠の表情が一瞬強張った。

(でも、そんなこと、あり得ないわ・・・)

 確かに広い世界には肉食植物、別名食虫植物は存在する。肉食植物は表面で昆虫を捕らえ殺して分解し、そこから何らかの栄養分を取る仕組みになっている場合が多い。また、花が虫を捕らえるのは、たいていの場合は花粉媒介をさせるためで、しばらくすると放してやる仕組みになっており、必ず食するとは限らない。
 つまり、肉食植物が昆虫等を捕らえて食べることはあっても、猫等の大きな動物を食べるなんて話は聞いたことがない。惠は直ぐにSF染みた発想をしたことを自嘲した。生物理工学を学ぶものとして、植物が猫を食べるというような奇想天外で非科学的な話を信じるわけにはいかなかった。

  (しかし・・・)

 では何故、花弁の様子がわずか数日で変わってしまったのだろうか。人の顔に見えていた花弁が、今日見ると猫の顔に見えたのは、目の錯覚だったのか。
 惠は謎めいた『植物X』の謎を解き明かしてみたい衝動に駆られた。

(もう一度行って確かめてみよう)

 出口近くまで戻っていた惠は、再び、『植物X』のあるコーナーへと向かった。

 もう一度見てもやはり猫の顔に見えるのか?それとも先日教授と見た時のように、人の顔に見えるのか?

 一歩ずつ『植物X』に近づくにつれ、惠はかすかな震えを抑えることができなかった。

(でも、もしも猫が食べられていたと仮定して、どうして花弁に猫の顔が現れるのだろうか。そんなこと考えられないわ・・・。それにもしあの顔がクロだとしたら、先日の人の顔は・・・・・・?きゃっ!そんなこと考えたら足がすくんでしまったわ・・・)

 惠は立ち止まった。
 戸惑いの表情を見せている。

(もう行くの、やめようか・・・?すごく恐くなってきたわ・・・でも、ここまで来て引き返せないわ!よし、行くぞ!)

 惠はミュール履きの素足を踏み出した。


   まもなく『植物X』が目前に現れてきた。
 それにしても大きな植物だ。そこらの潅木よりもずっと立派だ。
 惠は『植物X』をじっと見つめた。



第4話


 やはり花びらの中心部に、大きな目のようなものが二つある。瞬きもしないで、見開いたままだ。いや、それが目であった場合の話だが。そして、その少し下に鼻らしきものがある。それはお世辞にも高い鼻とは言えず、鼻の穴のようなものが二つ開いている。形状からすればそれは猫のそれだ。それからさらに下に、口らしきものがある。それらすべてはまるで麻痺しているかのように、ピクリとも動かない。角度を変えてみたが、それはどう見ても猫の顔のようであった。
 惠は背筋に冷たいものを感じた。

「やっぱり猫の顔だわ、これは・・・」

 目・鼻・口・・・それらは微動だにしなかった。かと言って死んでいる感じではなく、かすかに生気が感じられた。

「しょ、植物人間・・・?というか植物猫・・・?そんなのあり得ないわ・・・」

(ゾロッ・・・)

 その時、惠の足元で、何かが引き摺るような音が聞こえた。

「えっ・・・?」

 足元に目をやると、蔓が地を這うようにうごめき、突然、惠の足首に巻きついてきた。

(シュルシュルシュルシュル~)

「そ、そ、そんなぁぁぁぁぁ!?う、うそっ!?」

 蔦は『植物X』の裾の方から伸びて来ているようだ。
 惠は慌てて足首に巻きついた蔦を解こうと腰を屈め手を伸ばした。
 するとまたもや別の蔦が伸びてきて、右手首にクルクルと巻きついた。

「きゃぁぁぁぁぁ~~~!!何よ~これ~~~!!いやぁぁぁぁぁ~~~!!」

 その動きはもはや植物ではなかった。
 それはまるで蛇か触手を持つ生物のように思われた。
 しかし蔓の根源をたどると、間違いなく『植物X』から這い出している。

 惠は空いている左手で蔓を振り解こうとしたが、蔓はさらに数本伸びてきて、左手ともう片方の足首にも巻きついてしまった。

「きゃぁぁぁぁぁ~~~~~~~~!!」

 手足に巻きついた蔓は恐ろしく強い力で、惠の身体を幹の方へと引っ張り始めた。
 惠は蔓を振り払おうと渾身の力を込めたが蔓はびくともしない。その強靭さは糸瓜(へちま)や瓢箪(ひょうたん)等の植物からは到底想像できない。

 ジリッジリッと惠の身体が『植物X』へと引き寄せられていった。

「いやぁぁぁぁぁ~~~!な、何をしようというの!?やめて~~~!!」

 惠の悲痛な叫びが轟いた。
 その時、1本の蔓が惠の首に巻きついた。
 二重、三重に巻きついていく。

「く、くるしい・・・!」

 グイグイと締めつける蔓。惠はもがき苦しむ。

「うぐ・・・く・・・くるしぃ・・・うっ・・・・・・」

 次第に視界が翳んでいく。
 薄れいく意識の中で、何かに吸い込まれていくような気がした。

(あぁ・・・・・・私、食べられてしまうのぉ・・・?あぁぁ・・・誰かたすけて・・・・・・あぁぁぁ・・・・・・)

 シューターを滑り落ちていくような奇妙な感覚。

(どこに行くの・・・?)

 植物に食べられているという感覚はまるでなかった。
 その証拠に痛みは全く感じられなかった。

 意識は朦朧としているが、何故かしら身体が軽くなっていくような気がした。

(わたし・・・どうなるの・・・・・・?)

 意識がほとんど失われようとしていた。

(あぁ・・・消えていく・・・私が消えていく・・・・・・・・・)



第5話


(眩しい・・・)

 惠は瞼に光を感じ、意識を回復した。
 どれだけの時が経過したのだろうか。
 しばらくの間、気を失っていたようだ。

(私、生きているんだわ・・・)

 まだぼんやりとした脳裏に、かすかな記憶が蘇った。
 確か蔦に絡まれてもがいているうちに、次第に意識が薄れていった。

  (あれからどうなったのかしら・・・?)

 思い出せない。
 意識を失っていたのなら仕方のないことだ。

(で、今、私はどこにいるの・・・?)

 奇妙だ。
 生きていることは明らかなのだが、何か実体がないように感じられた。
 つまり肉体が存在しないような不思議な感覚。
 もしかしたら感覚が麻痺したのかも知れない、と惠は思った。
 暑さも感じない、寒さも感じない、痛みもない、痒みもない・・・
 手足を動かそうと思ったが、手足の感覚が全くなかった。
 まるで手足を失ってしまったかのように。

(私、どうなってしまったのぉ・・・)

 もしかして脳以外全てが麻痺してしまって、どこかに横たわっているのだろうか。
 それならば、早く誰かに見つけてもらって、手当てを受けなければならない。
 惠は助けを呼ぼうとした。

(誰か助けてぇ!)

 しかし声帯がやられてしまったのか、声にならなかった。
 他人に助けを求めることもできないのか。
 不安が募るばかりであった。

 そんな惠に一筋の光明が差した。
 先程までは光は感じてもぼんやりとしか見えなかった目が、次第に視覚が戻ってきた。

  (何か見えてきたわ・・・)

 惠の前に視界が広がった。

(あっ!ここは!?)

 惠の目に飛び込んできた風景は温室の中であった。
 場所に見覚えがある。

(ここは『植物Ⅹ』のあった場所だわ!)

 風景は紛れもなく蔦に襲われた場所、即ち『植物Ⅹ』の周辺である。
 惠は周囲に目を凝らした。
 だけどいくら探しても『植物Ⅹ』が見えない。
 『植物Ⅹ』の周辺は見えるが『植物Ⅹ』が見えてこない。

(もしかして!?)

 身の毛もよだつ戦慄が惠を支配した。
 もしかしたら、ここは『植物Ⅹ』の中ではないだろうか。あの時、蔦に襲われて気を失ったあと『植物Ⅹ』に食べられてしまったのではないだろうか。

(そ、そんなっ!!なら、私はどうして今生きているの!?)

 いや、もっと正確にいうなら、食べられてしまったのではなく、『植物Ⅹ』の中に閉じ込められてしまったのではないだろうか。

  (だ、脱出しなければ!!)

 惠は身体を動かそうとした。
 しかし身体そのものの存在感が全くなく動かすことができなかった。

(そ、そんなぁぁぁぁぁ~~~!!助けてぇ~~~!!ここから出してよ~~~!!)

 惠は叫んだ。だが、やはり声にならない。
 『植物Ⅹ』は自分を体内に閉じ込めて一体どうしようというのだろうか。
 あの姿を消した猫もおそらく『植物Ⅹ』に捕獲されてしまったのだろう。

 しばらくすると、ランの辺りで出会った男子生徒たちが目前にやってきた。
 こちらを見ながら何か語り合っているが、声が聞こえてこない。
 まるで音声を止めてテレビを観ている感じだ。
 惠は歯がゆさを禁じ得ず、再度大声を出そうと試みた。。



第6話


 だがやはり声にならなかった。
 目の前に人がいるのに呼び止めることができない。

 彼らには自分の顔や姿が見えているのだろうか?
 いや、あの様子では見えていないようだ。
 何を語り合っているのだろうか?
 聞いてみたい。
 だけど何も聞こえてこない。
 沈黙の世界が惠を支配した。

 しばらくすると男子生徒たちは立ち去ろうとした。

  (待って!私を置いていかないでぇ・・・)

   願いも空しく、男子生徒たちは惠の前から消えていった。

(あぁ・・・私はどうなってしまうの・・・ずっとこのままなの・・・?)

 惠は泣いた。


 それからどれだけの時間が経過しただろうか。
 窓から差し込んでいた陽が翳り温室内が暗くなった。
 夕闇のとばりが降りたようだ。
 一層心細さが募っていく。

 そんな頃、惠はふと、どこからともなく芽生えてくる快感を感じた。
 それは女性特有のあの身体の内側から込み上げて来る欲情に似ている。

(熱い・・・身体が火照るようだ・・・ん?てことは私の身体はまだあるのね?)

 快感は次第に具現化していく。
 膣を擦られるような快感・・・子宮を突き上げられるような快感・・・
 あ、そうだ。この快感はセックス時の快感に酷似いる。

(あ、あ・・・どうして・・・?私の身体に何が起こったの?)

 暑さ、寒さ、痛み等の感覚は目覚めてから一度も感じなかったが、性的な快感だけはまだ残っているのだろうか。そんなことがあるのだろうか。
 しかしこの快感は性的なものであることは間違いない。

(どうして・・・?あ、あ、あっ・・・)

 熱いものがじんわりと身体の芯から溢れ出しているのが分かる。
 突き上げるような快感がさらに増していった。

(あぁ、だめ・・・いやっ・・・あぁん・・・あぁ~・・・)


 惠が2日間帰宅しなかったことで、惠の母親が警察に捜査願いを提出した。
 母親からの知らせもあって、大学内でも山田教授や惠と仲のよかった生徒たちが捜索を始めた。

 山田教授は2日前に、経済学部の宮本由紀が惠と会話していたことを知り、彼女から事情を聞くことにした。
 由紀は当日温室で惠が猫探しに協力してくれたことをつぶさに教授に話した。

「で、結局、猫は見つからなくて、君と惠ちゃんは温室の出入り口で別れたんだね?」
「はい、そうです」
「その後、惠ちゃんは温室の中へ戻った訳か」
「はい、そのとおりです」
「そうか・・・」
「ほんとうに先輩はどこに消えてしまったんでしょうね・・・私のために親身になって猫探しに協力してくださったのに・・・」

 由紀はそういって肩を落とした。

「宮本君、ありがとう。呼び出してすまなかったね。また何か思い出したら連絡してね」
「はい、分かりました。気がついたことがありましたらまた連絡します。あ!」
「ん?何か思い出したかね?」
「はい、そういえば・・・」
「うん」
「温室の中で男子生徒が植物を調べていたのを見ました。惠先輩と温室の中に入っていくよその人たちがいて、私たちから『猫が来なかったか』と尋ねました。確か、3人いたような・・・」
「ほほう、詳しく聞かせてくれないかね」


 調査の結果、同じ時間帯に、生物理工学部の男子生徒が温室で植物の研究を行っていたことが明らかになった。
 早速、3人の男子生徒が教授のもとへ呼び出された。



第7話


 男子生徒はいずれも生物理工学部の学生で、4年生の米田、2年生の小山内、1年生の白木の3名であった。
 教授は手短に用件を伝えた。

「2日前、君たちは温室で植物の研究をしていたね」
「はい、教授もすでにご存知かと思いますが、現在、ランの培養組織の増殖法に関する研究中なんです。それが何か?」
「うん、実はある女子生徒が2日前から行方不明になってるんだ。行方不明になった日に彼女を見掛けたのは、君たちが最後のようなんだ。で、当日のことを教えてもらいたいんだ」
「ええっ!なんですって!?」
「2日前ですか?え~と・・・」
「女子生徒2人が来て、猫を見かけなかったか、と君たちに尋ねたろう?」
「ああっ!そういえば!!」
「来た来た!来ましたよ。猫が迷い込んで来なかったかと聞かれて、こっちには来なかったって答えました」
「で、2人の女の子はどちらに向かった?」
「確か元来た通路を戻って行きました。でもその後どこへ行ったかは知りませんが」
「やっぱりそうか。彼女たちと出会ったのはその一回切りだけ?」
「はい、それだけです」
「他に何か気がついたことは無かったかな?」
「はい、そう言えば・・・おい、お前が話せよ」

 4年生の米田が2年生の小山内の肩を突付いた。
 小山内はおどおどとした態度で語り始めた。

「実は・・・あ、でも、こんなこと話すと教授に笑われるかも知れませんが・・・」
「笑わない。だから話して」

 山田教授は真顔で小山内の発言を促した。

「研究グループが南米から持ち帰った『植物X』のことなんですが・・・」
「『植物X』がどうしたの?」
「はい、僕たちは温室に入ることが多いので様々な植物を観察しています。その中でも特に『植物X』には大変な興味があって毎日のように鑑賞しています」
「うん、それで?」
「毎日鑑賞していて妙な変化に気がついたんです」
「変化に?」
「はい、別名『人面花』と言われているだけあって、『植物X』を初めて見た時、花弁が人の顔に見えたことに大きな衝撃を受けました。その後見た時、そうですね、3、4日前だったでしょうか。人の顔に見えていたはずなのに、それが猫の顔に変わっていたのですごく驚きました。でも驚いたのはそれだけじゃありません」
「ふむ・・・」
「昨日の夕方、いつもと同じように温室での研究が終わり、帰り道いつものように、『植物X』に寄ることにしました。すると、驚いたことに猫の顔がまた変わっていたんです!」

 小山内は語っているうち自身もかなり熱くなってきた。

「猫から今度は何だ!?」

 教授の語気もかなり荒くなっている。

「ひ・・・人の顔です」

 小山内の声がかすかに震えている。

「つまり人から猫へ変わり、また猫から人へ戻ったと言うんだな?」
「いいえ違います」
「どう違うんだね?」
「僕ははっきりと憶えています。最初の顔を・・・。でもあれは男性の顔でした。でも・・・でも・・・今は女性の・・・」

 そこまで語ると、小山内は気分が悪くなったのかうずくまってしまった。

「だいじょうぶか!?」

 横にいた米田と白木が小山内を抱きかかえた。

「直ぐに温室に向かうぞ!宮本さんはいっしょに来てくれ!それから、白木は南米遠征グループに直ぐに温室に来るように伝えてくれ!」
「はい!」
「はい、研究グループの誰でもいいですね?」
「構わない!できればグループリーダーの武田がいい!」
「はい、分かりました!」

「あのぅ、僕たちはどうしましょうか?」

 米田と小山内が尋ねた。

「小山内はだいじょうぶか?まだ顔色が悪いぞ」
「僕はもうだいじょうぶです」
「それなら2人ともいっしょに来い!」
「はい!」
「分かりました!」

 山田教授と学生たちは急ぎ足で温室へと向かっていった。



第8話


(あぁっ・・だめぇ・・・あぁん・・・いやぁ~・・・あぁぁぁぁぁ)

 惠は不思議な快楽の波間をさまよっていた。
 その感覚は性交時に酷似している。
 だけど植物に捕獲された今、男根を挿入されているとは考えにくい。
 では一体何が惠をそのような感覚に陥れているのであろうか。
 惠は困惑した。
 仮に、自分を捕えた『植物X』が肉食であれば、すでに自分は食されているであろう。
 ところが、現在手足などの自由は利かないが、生きていることは確かだ。
 では『植物X』は何の目的で自分を捕らえたのであろうか。
 そしてこの性的な興奮は何によるものであろうか。
 歓喜の波が押し寄せて、冷静な思考が途切れ途切れになってしまう。

 肉道を硬い海面体のようなものが激しくこすりつけている。

(あぁ・・あああっ・・・はぁあああああ~~~・・・)

 その動きは実に規則正しく機械的だ。
 機械的ではあるが、性感を確実に捉え攻めて来る。

(ズン、ズン、ズン、ズン、ズン・・・)

(いやぁ~・・・だめ!感じる~感じちゃう~!そんなにこすらないで~!いやぁぁぁぁぁ~~~!)

(ズン、ズン、ズン、ズン、ズン・・・)

 惠を責め苛むものの正体は『植物X』の蔓であった。
 『植物X』は糖分を摂取することにより生命を維持している。虫や植物にも糖分は微量含まれてはいるが、それよりももっと効率的に摂取できるものがあった。それは女性の膣液である。膣液の成分は血液の成分でもある血漿が主体であるが、その中にはタンパク質や糖分などが多く含まれている。
 つまり『植物X』は惠を食するために丸呑みにしたのではなく、惠が放出する愛液を欲していた。そのため蔓が男性のペニスの役目を果たし、惠の膣に食込みピストン運動を開始したのであった。
 蔓は海綿体でできており、適度な硬さがあり、先端が亀頭のように膨らんでいた。そのためこれを受入れた女性は男根を挿入されたものと錯覚を起こしても無理はなかった。

 惠の膣壁からは大量の膣液が溢れ、それが潤滑油となって蔓の挿入を容易にしていた。蔓の先端には無数の触手が生えており、滲み出た膣液を絡めとる役割を担っていた。女性の身体は感じさえすれば、膣液をおびただしく放出させることのできる仕組みになっている。少々蔓が膣液をすくい取っても、潤滑油が尽きることはなかった。

(ズン、ズン、ズン、ズン、ズン・・・)

「あぁぁぁぁぁ~~~・・・はぁぁぁぁぁ~~~・・・」


 その頃、山田教授と学生たちは温室に駆け込み、『植物X』へと向かっていた。  

「きょ、教授、説明してください!『植物X』と行方不明になった女性とどんな関係があるのですか!?」

 途中、4年生の米田が山田教授に尋ねた。
 山田教授は真剣な表情でつぶやいた。

「まだはっきりとは言えないが、あの『植物X』はとんでもない花かも知れない。今からそれを解明する」
「とんでもない花とはどう言うことですか!?」
「もしかしたら、肉食花かも知れないと言うことだ」
「に、肉食花!?つ、つまり『植物X』が人間や猫を食べたと言うのですか!?」
「その可能性はある。しかし今の段階では何とも言えない。とにかく調べてみないと」

 山田教授の驚くべき説明に他の学生たちもざわめき立った。
 由紀は真っ青な顔をしている。

「せ、先輩が食べられてしまったと言うことですか・・・?そんな酷いこと・・・」

 由紀は声を詰まらせた。

「いや、まだそうと決まったわけじゃないから。とにかく急ごう」


 まもなく山田教授たちは『植物X』が保存されている場所に到着した。



第9話


『植物X』は険しい表情の人間たちをよそに、清まし顔でそびえているように見えた。
 山田教授はポケットからケータイを出し誰かに電話をした。

「もしもし、あぁ、武田君、山田だ。もうこちらに向かってるの?」
「うん・・まだなんだね?それは良かった。じゃあ今から医学部の山口教授のところに寄って、私からだと伝えてメスを1本借りてきてくれないか?」
「うん・・そうそう、手術用のメスだ。うん、じゃあ、頼むね」

 山田教授は研究グループリーダーの武田に用件を伝えてすぐにケータイを切った。
 周囲からどよめきが起こった。
 山田教授が手術用のメスを依頼したことが、周囲の生徒たちに動揺を与えたのだった。

 それから20分ほどが経過し、武田たち研究グループのメンバーが到着した。

「教授、お待たせしました!」
「おお、みんな、ご苦労だったね」

 武田は早速要求されたメスの入ったケースを鞄から取り出し、山田教授に手渡した。

「武田君、すまなかったね。じゃあ、早速取り掛かるとするか」
「『植物X』を解剖するのですね?」
「そうだ。せっかく苦労してブラジルから持ち帰ってくれたのに申し訳ないね」
「いいえ、それは仕方ありません。人命が掛かっているのですから」

 山田教授はケースからメスを取り出し、これから行う作業工程を説明した。

「皆さん、驚かないで聞いてもらいたい。現在行方不明になっている中小路惠さんは残念ながら、我々がブラジルから持ち帰ったこの『植物X』に食べられてしまった可能性がある。いや、もしかしたらこの中でまだ生きているかも知れない。そう信じて、私は今からこの『植物X』を解剖する。ただし彼女が生きている場合を想定して、細心の注意を払いたい。そのため、ゆっくりと時間を掛けて裂いて行く。
 そこでだ、万が一のことを考えて、気の弱い人はこの場所から早く立ち去ってもらいたい」

 山田教授の説明が終わると周囲は騒然となったが、誰一人立ち去ろうとする者はいなかった。
 むしろ、激励の声が飛び交った。

「先生、手伝えることがあったら何でも言ってください!」
「俺にも何か手伝わせてください!」
「私は何も手伝えないけど、ここで中小路さんの無事を祈っています!」
「僕も!」

 生物理工学部外の宮本由紀も立ち去ろうとしない。

「先輩はきっと無事です。私、そう信じています!だからここにいます!」
「よし分かった。じゃあ、今から作業に取り掛かる。武田と西山には手伝ってもらおうか」
「はい!」
「『植物X』が揺れないようにしっかりと支えていてくれ」
「はい、分かりました」

 山田教授は『植物X』の前に立ち、花弁のある上方を見上げた。
 幹高があるため、脚立が用意された。

 女子生徒2人が両横から脚立を押さえる役目を買って出た。
 山田教授は脚立に足を掛けた。
 幹高は2メートルほどなので脚立を2段ほど登れば花弁の位置に到達する。
 山田教授は2段目で足を止め、幹にメスを近づけた。

 生徒たちは固唾を飲んで様子を見守っている。
 濃い緑色の幹にメスが触れた。
 繊維は縦に走っているので縦に裂くのが適してる。
 山田教授は薄皮を剥ぐようにそっとメスを滑らせた。
 言葉を発する者は誰もいない。
 2ミリ、4ミリと幹はゆっくりと切り裂かれていく。
 6ミリ・・・8ミリ・・・
 幹はかなり分厚い皮で包まれているようだ。
 1センチに達した時、山田教授の口から声が漏れた。

「あっ・・・」



第10話


 幹の表皮の裂け目から人間と思われる白い肌が現れた。
 生徒たちの間から驚嘆の声が漏れた。
 山田教授はさらに切開を進めた。
 メスの扱いはひときわ慎重になっている。
 間違って肌に傷をつけてはならない。

 開口部がゆっくりと拡がり、内部が次第に鮮明になっていく。
 見えてきたのは人間の腹部のようだ。
 肉付きから考えてどうも女性のようだ。

 山田教授の口からぽろりと言葉が漏れた。

「中小路さん・・・生きていてくれ・・・」

 周囲の生徒たちも山田教授と同様に惠の無事を願った。
 中には手を合わせて祈願している生徒の姿もあった。
 誰から聞いたのか現場に駆けつけてきた生徒も次第に増え、いつのまにか周囲に人垣ができていた。

   切開はさらに進み胸部が露出し、乳房の存在から隠蔽されている人間が女性であることが明らかとなった。
 ほっそりとした首筋が見えた頃、周囲は静まり返った。
 惠を知る者がほとんどであったため、その女性が惠であるか否かに注目が集まった。
 まもなく女性の顔が現れた。
 一瞬周囲からどよめきが起こった。

「やっぱり中小路さんだ!」
「惠ちゃん!」

 山田教授はそっと首筋の付け根附近に手を当てた。
 体温は感じられるし、しかも血管がドクドク動いているのが分かった。

「大丈夫だ!中小路さんは生きている!」

 その瞬間、周囲から歓声が巻き起こった。
 『植物X』の解剖は終了し、惠は無事救い出された。
 ただ意識を失っていたため、すぐに救急車が手配され病院へ担ぎ込まれた。


「すっかり元気になったようだね」
「本当にありがとうございました。教授や皆さんのお陰で助かりました」
「肉食植物に食べられて生き永らえられたのはまさに奇跡的と言えるね。時間の経過からすればすでに消化されてしまっていてもおかしくはなかった。でも中小路さんは身体に傷ひとつ負っていないし、『植物X』が栄養分を送ってくれていたお陰で身体の衰弱も全く見られない」
「ほんと、不思議ですわ」
「『植物X』が君を食べた目的が何だったのか、これはいまだに謎だよ」
「・・・・・・」

 惠は知っていた。
『植物X』が惠を捉えたのは、食することが目的ではなく、惠の愛液を求めていたことを。そして『植物X』が愛液をすすリ取る代償として、いまだかつてない甘美な快楽を享受したことを。
 惠はそのことについては一切触れることはなかった。


 退院後も『植物X』から受けた快楽を忘れることができず、夜のしじまの中でひとり悶える惠の姿があった。

















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