第1話「秘めた想い」

 神前寺もえは現在県立高校3年生。いつも明るくおちゃめでクラスからの人気者、成績は校内でも群を抜いており、すでに関西の著名な大学に進学が内定していた。
 よく引き締まった素晴らしい肉体を誇るが、雪のように色白であるため、飛込み競技の選手としてはいささかミスマッチな印象が拭えない。しかし国体に出場するほどの力を持ち県内でも名が通っていた。愛くるしい目元と三つ編みに束ねた黒髪が印象的で、もえの練習する姿を一目見たさに遠くから眺めている生徒も結構多かった。制服は明るい水色のセーラー服で、生脚に白のハイソックスと言うのがもえの定番であった。

 すでに進学が確定していたこともあって、残りわずかな高校生活を謳歌していたが、そんなもえにも一つの悩みがあった。それは思いを寄せている英語教諭の工藤薫と、卒業と同時に別れなければならないことであった。ただし『別れる』とは言っても、もえと工藤とは交際していたわけではなく、あくまで校内で会話を交わしたことがあった程度であり、恋人同士の『別れ』とは大きく異なった。
 過去もえが男子生徒と付合ったことは僅かながらあったが、同世代の男性はどこか物足りなさがあって、付き合っても長く続かなかった。そんな折、何かにつけて頼りになる工藤の存在がもえの気持ちを大きく傾かせていた。

 工藤としても教師と生徒との関係ではあったが、愛らしく清らかでよい性格のもえに対し好感を抱いていた。また素直で何事にも真剣に取り組むもえに対し、教諭の立場からもいつも微笑ましく思っていた。
 そんな二人であったが、これと言って切っ掛けもなく月日は流れて行った。

 それは粉雪の舞う12月のある日のことであった。
 もえは元々英語が大好きなこともあって、以前からある英文雑誌を講読し、それを翻訳する作業を行なっていた。ところが、文中どうしても訳せない箇所があったため、職員室まで行き工藤に教えてもらうことにした。
 ところが工藤は現在期末試験の採点の真っ最中であった。

「ごめん、もえ。今日中に採点をしなければいけないんだ。おまけに今夜は近々退職される吉岡先生の送別会なんだよ。もしよかったら、あさっての日曜日に僕の家に来ないか?ちゃんとと教えてあげるから」
「えっ?先生のお家におじゃましてもいいんですか?分かりました。じゃあ、行きますね!」

 もえは工藤が現在試験の採点で多忙であったことを自身にとってはむしろ幸運だと思った。
 突然降って湧いたような工藤からの誘いは、もえとしてみれば夢みたいな話であり、天にも昇る気持ちになった。

(やった~!先生のお家に行けるんだ~。それもひとりで!嬉しいな~ポッ……)

 その夜、寝床に入ったもえは英文雑誌をめくっていたが、目を瞑っても工藤のことが浮かんできてなかなか寝付けなかった。
 日曜日は服は何を着ていこうか、薄化粧ぐらいはした方がいいかなどと、まるで初デートをする前夜のような緊張が走りすっかり目が冴えてしまった。

◇◇◇

 日曜日の朝、工藤のマンションには午前10時約束だが、もえは予定よりも早めに家を出た。
 気持ちが昂っていたせいか予定より1時間早く目が覚めてしまったのだ。
 マンションに向かう時間さえ幸せに思えた。と同時に緊張が走り喉がカラカラに乾いてしまった。

「ミネラルウォーターを買おうかな?でもトイレが近くなって借りることになっても恥ずかしいから……やっぱり我慢しようかな……」

 もえは些細なことで『乙女の恥じらい』を感じ困惑したが、結局水分補給を優先することにした。
 マンションの入口に到着するまでは何とか平常心を保てたもえであったが、さすがに工藤が住む部屋の玄関ドアの前に立つと、激しい緊張感に襲われた。
 インターフォンを押す指がぶるぶると震える。
 もえは思い切ってインターフォンのボタンを押した。

 しばらくすると中から鍵を開ける音が聞こえ、玄関のドアがゆっくり開き、工藤が顔を覗かせた。
 工藤はにっこりと笑顔を浮かべてもえを迎えた。

「よく来たね。入って」

 もえは靴を脱ぐとすぐにきれいに揃えた。
 工藤の家は男性の一人暮らしとしては、小ざっぱりとしてきれいな方だが、棚には所狭しと書物がぎっしりと並べられていた。
 きっとかなりの読書家なんだろう。
 部屋は1DKと広くはなく、もえは食卓テーブルに案内された。

「そんなに緊張しなくていいよ。もっとリラックスして」

 緊張で顔を強張らせているもえに工藤はやさしい言葉を投げかけた。
 まもなくもえの目の前に紅茶と茶菓子が運ばれてきた。
 アールグレイの香しさが部屋内に立ちこめた。
 茶菓子は今日やってくるもえのために、わざわざ買って用意してくれたのだろう。
 そんな工藤の細やかな心遣いがとても嬉しかった。

「わあ、おいしそう~」
「先ずはお茶飲んで一服しようか。勉強はそれからだ」

「先生、ありがとうございます」
「角砂糖は何個?」
「お砂糖入れないんです」
「そうなんだ」
「じゃあ、いただきます~」

 そっと紅茶に口をつける。

「美味しい……」

 偶然ではあるが、コーヒーよりも紅茶党のもえとしては、自分の嗜好をよく知ってくれているようでとても嬉しかった。

「好みの味だった?それはよかった」
「はい、紅茶大好きなんです」

 工藤も紅茶を飲みながらやさしく微笑んだ。

「お菓子もどうぞ」
「え?いただいていいですか?」
「もちろんだよ、もえのために買っておいたんだから」
「きゃあ~、嬉しい!ウッキッキ~!」

 もえは茶目っ気たっぷりな本来の明るい少女に戻り、茶菓子のクッキーに手を伸ばした。

「はっはっは~~~、ウッキッキって、まるでオサルの子みたいだね~」
「ええ~?私ってオサル顔してますか?」

 もえは頬をふくらませてわざと悪戯っぽく笑ってみせた。

「そんなことないよ~。もえはすごく可愛いよ~。それはそうと……」
「えっ!?嬉しいんですけどもう話題を変えるんですか?」
「ん?不満か?もえが可愛いという話は後でじっくりとするとして、もえもいよいよ卒業だな。寂しくなってしまうなあ」

 工藤が何気なくつぶやいた一言に、もえは言葉を詰まらせてしまいしくしくと泣き出した。



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