チルは電気も灯さないでCDを聴いていた。
机はキチンと片付いている。
肘をつきながら溜息を何度もついた。
CDデッキから流れるピアノの音にぼんやりと耳を傾けている。
フリデリック・ショパン。
“ノクターン9-1番”。
帰ってからもう10回くらいリピートされているだろうか。
彼の作品では“ノクターン9-2番”の方が有名だが、チルはこの曲の方が好きだ。
美しく繊細でどこか物悲しさに包まれたメロディー……
彼もそれを知っている。
決まって2人の時間に掛けてくれた。
窓から入る月明かりの中で、飲みかけのワイングラスが輝いている。
数時間前までの彼との情事を思い出していた。
チルが目を瞑ると彼がいた。
いや、いるような気がした。
自然と彼の肌の熱い感触が身体中に蘇ってくる。
まるで彼に包まれているような錯覚を起こす。
一瞬の挨拶のキスを思い出した。
お互いの唇をノックするように軽く唇同士が触れあう。
彼の髪の匂いがほのかに香る。
同じキスでも触れ方が深いと、口紅の薔薇のような深い紅色が彼の唇にも写った。
唇のぬくもりが彼の温かさを伝えてくれる。
ずっとそうしていて欲しい。
このまま溶けてしまいたい。
時間が止まっていて欲しいくらい。
しかし、ショパンの前奏曲のように急に彼は求めてくる。
甘い唇のふれあいが、急に深いキスにかわる。
息ができないように熱く唇を吸われる。
彼の熱い体温、甘いような切ないような男の香りに、身体のどこかがキュンとする。
彼の唇の求愛に答えるように、チルの側から彼の口の中を探った。
彼の熱い舌が、チルを歓迎してくれる。
積極的にチルの中にも入ってくる。
2人の舌が熱い抱擁を交わす。
さぐり合い、熱く吸い、お互いの気持ちを1つにする。
お互いが好きだということを、無言のまま舌のさぐり合いが何度も何度も確かめる。
舌だけが別の生き物のように、からみあい、そしてほどける。
静寂の中で、ノクターン(夜想曲)と吐息だけが響いている。
でもだんだん聞こえなくなる。
気がつくと、彼の舌が右の耳を探っている。
くすぐったいような切ないような何かが身体中を走り始めている。
深い吐息が漏れる。
もうショパンの音楽は聞こえない。
彼の音楽だけが、チルの中で大きく響き始めた。
完