長尾貴志 作

官能小説『猫』



 午後の鋭い日差しに貴志は顔をしかめた。
 日差しを遮ろうと腕を上げようとして、違和感に気づいた。
(女がいる。)
 小猫のように丸くなって隣で眠っている。貴志の動きに女は、無意識に貴志の肩にまわしていた手をぎゅっと握った。

「おい」
 女の鋭い、本物の猫のような長い爪が貴志の肩に食い込んだ。
「おまえ誰だよ」
「ん~?」
 まだ寝ぼけたような女の間抜けた声が答えた。
 この女に見覚えが無かった。
 肩に食い込んだ女の爪の痛みからか、意識がはっきりとした。

「私の事、覚えてないの?」
 インスタントコーヒーの入ったマグカップを持って、怪訝な顔で入ってくる貴志を、女はベットの上で胡座を掻いた姿勢で迎えた。
 下半身はシーツで隠されていたが、自分自身を抱きしめるように交差されている腕は、乳房をギュッと引き締め、官能的に誘い込むようだ。
 ツンと上向いた乳首の辺りにかすかに赤く歯形が残っている。

(俺は昨日の夜もこの女を抱いたのかな?)
 コーヒーを飲みながらも絡みついてくる女の手を拒みきれず、あえなく再戦に持ち込まれた。
(ほんとだったら今ごろユキと会ってる頃だろうな。)
 最近の休みはいつもユキと過ごしている。
 来月には結婚する予定の3年来の恋人だ。
 今まで浮気した事が無い訳ではないが、自分の部屋には連れ込んだ事は無い。
(昨日そんなに酔ってたのかな?)
 女の動物的な愛撫に身を任せながら、それでも思考の糸を手繰り寄せるように貴志は考えた。
(昨日は同僚と飲みに行った。ツケのきく店があるからって、3軒も付き合わされて・・・それから?)

 女の長い爪が、貴志のペニスを摘み上げた。
「うっ」
 いつのまに滑り込んだのか、貴志の下半身は女のものとなっていた。
 女が動くたびに、全身に鳥肌が立つような快感が這い登った。
 女の息遣いもあがってきた。
 獣を思わせる、野生的なにおいが鼻を突く。
(猫?)
 遠くなりそうな意識の中で、貴志は些細な昨夜の一場面を思い出していた。

(猫がいた。昨日、路地裏に。ユキの家にいる猫に良く似た。3軒目に行った、バーの裏に・・・女・・・)
 支離滅裂な思考。それを嘲笑うがごとく、女の動きが一層激しくなった。
 抵抗しようとしながら、無意識にそれに同調してしまう肉体。
(そんな馬鹿な。俺は何を・・・?)
「ねぇ、ほんとに私の事、覚えてないの?」
 女が乱れた長い黒髪の中から、目を光らせて聞いた。
 口の周りがぬらぬらと艶っぽく濡れている。
 真っ赤な舌を覗かせ、女は口の周りをぺろりっと舐めた。
 その瞬間、俺はすべてを悟った。
「おまえはぁ・・・あっ」
 視界のすべてが世界のすべてが発光したように白く輝き、意識は無限のかなたに消え去った。

 どのくらいこうしていたのだろうか?
 ベットの上で独りぼんやりと煙草をくゆらしながら貴志は考えた。
 女は居なくなっていた。
 名前も告げず、別れも言わず。
(何だったんだ、いったい)
 肩や背に残る爪痕を、今日の幕切れを告げる真っ赤な夕日が照り返していた。
 猫


「どうしたの、いったい。こんな時間に突然、今から行く、なんて」
 真夜中の訪問にもかかわらず無邪気に微笑んでユキは玄関のドアを開けた。
「いや、なんだか急にユキの顔、見たくなって・・・」
 貴志は言葉を濁した。
 いくらひとり暮らしとは言え、12時過ぎに突然女性の部屋を訪れるのは失礼だとは思った。たとえそれが婚約者だったとしても・・・。
「なんだ、酔ってるの?」
「うん、ちょっと・・・」
 そう言いながら、貴志はユキの猫を目で探した。
「猫は・・・」
「猫?」
 たいして広くも無いユキの部屋に猫の姿はなかった。
「どうしたの、ほんとに。いつも猫なんてお構いなしなくせに。メル、さっきまでそこに居たわよ。」
 カウチのクッションを指差し、ちょっといぶかしげにユキは言った。
「変なタカシ・・・」
 缶ビールを取ろうと冷蔵庫を開けるユキをぼんやりと眺めていると、貴志はなんだか急に可笑しくなった。
(ほんと、何やってんだ俺、馬鹿みたいだな。ある訳ないだろ、そんなこと。)
 缶ビールを飲むユキを前に、うつむき、独り苦笑する貴志。
「何、笑ってんのよ。気持ち悪いなぁ。」
「それがさ・・・」
 何とかごまかしながら、昨夜からの話をユキに告白しようと思って顔を上げたその時、いつのまにか窓枠に座った猫と視線があった。
(共犯者よ・・・。)
 猫の目がにっと笑った。














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